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ジャーナリスト「私」のリアリティ


by kenji_goto

パリのイラク女性⑤

ディーナは偽造パスポートを使った。
アンマンやバグダッドでは、サダム独裁政権下で欧米に亡命したいわゆる「亡命イラク人」たちがパスポートの売買を行っている。スウェーデンやデンマーク、ドイツ、英国などに亡命したイラク人たちの中には自分のパスポートを売る人たちがいて、それらが流通しているようだ。バグダッドにはパスポートの偽造業者がいる。その家族の中に亡命した者がいて、ストックホルム-アンマン-バグダッドを拠点に一族で亡命ビジネスを手がけているようだ。ヨルダン-イラク国境で偽造がばれて強制送還されたという話を聞いたこともあったが、めげるどころかビジネスは拡大しているというから、彼らのたくましさには恐れ入る。購入した人は、パスポートの写真を自分のものと張り替えて使う。ディーナは"HAMSA"という名前のパスポートを手に入れ、写真を張り替えてなりすました。価格は通常12,000ドルもするらしいが、現金大特価7,000ドル。6,000ドルを支払い、ストックホルムに着いて業者の仲間に残り1,000ドルを支払う予定だった。戦後の混乱もあって、多くのイラク人がこうした偽造パスポートを使って人道主義の強い北欧や欧州諸国へ流れているという。アンマンのスウェーデン領事館で滞在許可証まで取って、"HAMSA"は、何の問題もなく目的地スウェーデンのストックホルムに到着するはずだった。でも、"HAMZA"のパスポートを見たフランスの入国管理官は、写真が貼りかえられていることを見破ってしまった。
ディーナは、その時のメガネをかけた女性入国管理官の怪訝そうな表情を鮮明に覚えていると言う。「このパスポートは他の人の物ね」と言われて、何がなんだかわからなくなったという。ただ、アンマンに強制送還されたらそのままイラクへ帰国させられてしまう-そのことで頭はいっぱいだった。彼女は自分のパスポートが本物であると必死で言い張った。そして空港警察に連れて行かれた時、「空港でトラブルがあったらICRC(国際赤十字)に行け」という知人の言葉を思い出して、警官に言ってICRCの事務所へ連れて行ってもらった。空港内にある建物の一階が警察、二階がICRC、三階が不法入国者の一時滞在施設になっていた。入管では私は"HAMSA"と言い張ったディーナだったけれど、ICRCの職員にはすべてを打ち明けたという。自分の本名はディーナであること、脅迫を受けて逃げ出したこと、偽造パスポートを使ってここまで来た事情を話してICRCの職員に理解してもらった。彼女は不法入国者の一時滞在施設で4日間寝泊りすることになる。ファディがボクに伝えた電話番号はこの一時滞在施設のものだった。外部と連絡が取れるなんて、日本の施設とは大違いのフランスの寛大さ(?)に少し感心した。また、あの時のファディの"Kenji, Help Dina."という声を思い出した。あの晩、事務所の国際電話の料金を払い忘れていてフランスに電話をかけられず、ジリジリしながら翌日まで待っていた。そして、教えてもらった電話番号に何回もかけた。たいていは誰も出ないし、誰かが応答しても英語が解せないという状況でイライラした。彼女からこうして話を聞くまでよくわからなかったが、電話口に出たのはディーナといっしょに施設にいた不法入国の人たちだったのだ。応答した人の中に、唯一少しだけ英語が解せる「マルワン」という名の男性がいた。ディーナが警察の事情聴取で留守にしている時、ボクは彼と話をした。彼の"Dina is OK."という言葉にホッとしたのを憶えている。彼はパレスチナ出身だったが、その後どうなったのだろうか?
# by kenji_goto | 2005-01-07 22:09

パリのイラク女性④

ディーナと会って、カフェで話を聞いた。
話は5時間近くに渡り、まとめるには時間がかかりそうだ。何回かに分けて、ざっくりと記録しておきたいと思う。
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"We will kill you."-6月半ば、彼女の携帯にメッセージが着信した。その後、およそ2週間、毎日少なくとも一日に一回、昼夜を問わず同じメッセージが届いた。"We will kill you." そんなある日、知らない男性から電話がかかってきた。「通訳をしているディーナさんですね?」と尋ねる男性に、彼女は「いいえ、私は英語の教師です。通訳ではありません」と答えて電話をきった。不審に思ったディーナはファディに相談。ファディはディスプレイに表示された番号に電話して、男性に話を聞いたところ、トルコ語のわかる通訳を探していたとのことだった。男性は間違いだったと謝ったという。
その後、7月に入ってからメールではなく直接電話がかかってくるようになった。ディスプレイに表示される番号はいつも同じだが、その都度違う男の声だった。台詞はいつも同じ"You work with the occupation troops. And we will kill you." それだけを言い残して切る。誰?お金か何かが欲しいのか?というこちらの問いには全く反応しない。また、こちらから表示された番号にかけても誰も出ない。こうした電話が週に1,2回、早朝か夜中にかかってきたという。
7月17日、ディーナの自宅の入り口の扉に"Unfaithful Girl"と落書きされているのを、朝彼女が出勤する時に見つける。男たちからの電話は続いていた。
7月25日、ディーナの大学の同窓生で親友のラナ・アルムサウィ(24)さんが、高速道路を運転中に銃撃されて亡くなる事件が起こる。バグダッド陥落直後から米軍で通訳として働いていたラナさん。事件の少し前、ディーナは彼女と電話で話している。ラナさんも携帯電話にディーナが受け取ったのと同じメッセージを受信していた。ある日、彼女は車のフロントガラスとワイパーの間に"We will kill you."と書かれたメモの入った黄色い封筒が挟まれているのを見つけた。中には銃弾が入っていたという。彼女の家族はもちろん、ディーナもラナさんに仕事をやめるように薦めたが、彼女は心配ないと言って仕事を続けていた。彼女の給料はひと月900ドル。新イラク警察官の3倍以上の金額、しかも安定した収入だ。ひと月40-50ドル以下の現金収入しかない人たちが大多数を占める今のイラクで、トップクラスの高収入だ。物価も高騰している。もちろん命には代えられないけれど、彼女が脅されて簡単に失業するわけにも行かなかったのは理解できる。襲われた時に同乗していた14歳の弟の話では、2台の車が自分たちをつけて来ていたという。そのうち、ピックアップ1台が並走してきて、運転中のラナさんの頭を狙撃。コントロールを失った車はフェンスに激突して止まった。狙撃した犯人たちはピックアップを現場に乗り捨て、もう1台の乗用車に乗り換えて逃走したという。乗り捨てられたピックアップは、後日盗難車とわかった。
7月末、ディーナは携帯電話のディスプレイに表示された番号を通信会社イラクナに照会。誰が電話しているのか?悪質ないたずらか何かか?調べて欲しいと頼んだ。イラクナの職員は「12時間後に問題の番号は受信拒否になりますから」と対応し、その日から彼女の携帯電話には男たちからメッセージも電話もかかってこなくなったという。
8月5日朝、自宅の庭で黄色い封筒(縦10センチ横15センチほどのもので、普段一般に使われる白く横長のものとは異なっている)を見つける。中には二つ折りにされた1枚のメモが入っていた。"We will kill you."この一文が手書きで書かれていた。日にちは覚えていないが、4,5回受け取ったという。毎回同じ封筒で同じ白いメモ紙だった。筆跡が同じだったかは自分でも思い出せないという。
8月25日朝、自宅の入り口の扉に"Killed the Spy"という落書きを家族が見つける。
10月20日、自宅の庭に投げ込まれていた黄色い封筒。この時のものは封筒の表に"You are death."と書かれ、中にはメモの代わりに銃弾が入っていた。今年春、自分がスンニ派反米武装グループをインタビューした際にディーナは通訳を務めていた。「占領軍に加担するものはイラク人であっても殺す」と言う男たちの答えに、彼女は恐怖を抑えきれずインタビュー中に嘔吐してしまった。その時の男たちが関わっているのではないかと、当時連絡役を務めた男性にファディと共に問い詰めたという。彼は「あのグループは違う」と関与を否定したが、ディーナには「すぐに国を出た方がいい」と忠告した。この話は自分もファディから電話で聞いていたし、100%違うと笑い飛ばすことはできないけれど、インタビューしたグループは一方で「攻撃対象は米軍とその同盟軍、一般人は標的にしていない」と答えていたし、自分のチームの通訳に手を出すとは思えない。彼らはこちらの情報や意図を理解した上で、お互いある種の信頼関係が成り立ったためにインタビューに応じた。また、彼らのすべての答えから判断すると彼らの活動はレジスタンス的なものと思える。ただ、彼らが関与していないとしてもスンニ派武装グループとパイプのある人物が逃げた方がいいと言うのだから、"We will kill you."のメッセージに何らかの現実味があったのだと思う。
10月29日11:00am、ディーナは末の弟と共にファディが用意した車でバグダッドを出発。10時間後にアンマンに出国した。アンマンではファディの妹の家族の元に身を寄せ、12月2日まで滞在していた。
12月2日7:30am、ディーナはエアーフランス AF585便でパリ経由ストックホルムへ向かった。
# by kenji_goto | 2004-12-20 12:33

パリのイラク女性③

裏通りの灯りが暗かったからか。いや、けして灯りのせいではない。ディーナはやつれていた。
アムステルダムを出て、パリ北駅に着いたのは5時半。霧雨。駅前のホテルにチェックインして荷物を置き、地下鉄に乗った。Ripublica広場近くの修道院のシェルターに辿り着いたのは6時半。ベルを鳴らすと、古びた木製のドアが開いて、メガネをかけた小柄なシスターが応対に出てきた。とても怪訝そうな表情と視線、ドアもわずか20センチほどしか開いてくれない。雰囲気から、ここは普段来訪者を受け付けていない施設なのだとわかった。ドアの隙間から垣間見えた内部は大学病院のような趣だったが、食堂かロビーのような空間はこぎれいで少なくとも冷たい雰囲気ではなかったのでホッとした。「ディーナというイラク人女性に会いたいのですが・・・」と伝えるが、小柄で気難しそうなシスターは英語がわからないようだ。そんな人はいません、とドアを閉めてしまいそうな勢いだったのでちょっと焦った。ドアの前で待つこと5分。雨と風が冷たくて、すごく長く感じられた。ドアの内側で女性のやりとりが聞こえる。ドアが開くとそこにディーナが立っていた。1,2歩、一瞬ホッとしたような笑顔を見せて抱きついてきた。そして泣き出した。OK、もう大丈夫。どう力になってあげられるかはわからないけれど、少なくとも相談できる知り合いが近くにいるというだけでも安心できると思う。彼女はえんえん泣いているけれど、本当にホッとした。この施設はやはり来訪者を禁止しているようなので、ほんの5分ほどの面会で済ませ、明日午前中に外で会うことにした。地下鉄に乗る気がしなかったので、しばらく歩いた。途中、教会の前で炊き出しが行なわれていた。コンソメの香りが食欲をそそったが、アルジェやモロッコ系と思われる若者たちの数の多さに驚いた。彼らは当然移民だと思うけれど、より良い生活を夢見て巴里まで来たものの、やはり仕事にはありつけないのか。北駅までは賑やかな大通りが続いていたのでそのまま歩いてホテルに帰る。途中のスーパーで食パンとレバーパテと牛乳を買って部屋で夕食。パリでは一人の外食ほど物を不味く感じることはない気がする。
# by kenji_goto | 2004-12-19 07:13

パリのイラク女性②

もう空港に行かなくては。
連絡役のハイダからメールが入っていた。少し状況がつかめた。

hello dear ....

Yesterday, Fadi had called me at night and tolled me some issues about Deena to tell you :
1-You can call Deena this comming Tuesday at the phone cabinet at 06:00 o'clock, Baghdad Time, at the evening .. the cabinet No. : 0033143142988
cuz she doesn't have a phone no. she will stand at this phone cabinet at the exact time ..OK

2-She has another phone No. but without a code for calling her : 0623504491
and you can call her every evening at 09:00 o'clock Baghdad time and ask for Deena to talk to you ..but first Fadi did not give any code no. for this mobile phone you have to get the code to call for her .....OK

As you know, Deena is in France now and she's looking for a Humaniterian Resort and she's still fighting for this goal and she needs your help for this if you can offer any thing for her...and her residence is in a house within a church in France and she is sharing this house with some girls.......and what she really needs from you is a phone No. that she can get you on cuz she needs to talk to you very quickly...OK

This is all I got from Fadi and and if you want anything I will go to him and tell hem things that you want ......OK........keep in touch

your's
hayder
# by kenji_goto | 2004-12-11 18:37

パリのイラク女性①

AMSTERDAM 8:00AM NOW
It's very cold and there is a big Tree in the DAM square. Men, women, and children in the street looks just ready to have Christmas day.
少年兵士取材のため、シエラレオネほか西アフリカ諸国へと日本を発ったのは、12月8日。
ヴァージン航空 VS901便 同日15:45 ロンドン着。
9日 Oxford circus にあるシエラレオネ高等弁務官事務所でビザ取得。6ヶ月マルチ、160ポンド(およそ35,000円!)体臭の混ざった事務所の臭い、現地語の混ざったクセのある英語、事務的だけど雑然としたスタッフの対応の仕方に、もうシエラレオネに着いてしまったような感覚を憶えた。自分の今の暮らしや共通の友人に関して会話を交わす彼らを見ていると、ここが紛れもない西アフリカ・コミュニティであることがわかった。
東京では手に入らなかったフリータウンへの便は、クリスマスへの帰省客でいっぱいで取れない。1月までウエイティングリストもいっぱいだという。残念。安い航空券を探すも見つからず。ただでさえ、物価の高いロンドンだが、ポンド高(1ポンド=211~220円)もあいまって金額がべらぼうになってしまう。円、ドル、ポンド、ユーロの価値が以前のように一定していない。同じ物でも金額が倍以上になることもある。自分の購入したい物やビジネスの内容によって、購入場所や仕事場所を変えていく必要があるのか。現代は便利になったのか?と感じるけれど、そうした差があるところには必ず経済が生まれる。この差のおかげでもうけている人たちもいるだろう、と思うと良いのか悪いのかは一口に言えないかも。現地への入り口をアビジャンに変え、安い航空券を求めてアムステルダムに移動することにした。
10日 ブリティッシュ・ミッドランド航空 BD101便 06:35 ロンドン発。チェックインカウンター混み合う。飛行時間1時間25分 1時間遅れでアムステルダム 9:55着。11日発のカサブランカ経由アビジャン行き航空券を購入。モロッコは悪い思い出があるのであまり立ち寄りたくないが、乗り継ぎだけだから大丈夫だろう。
11日 Ams.-Casablanca Royal Air Maroc 13:00-15:30 AT 0851->Casablanca-Abidjan Royal Air Maroc 19:00-23:40 AT 0533
ディーナは、今もパリにいるようだ。全く電話が繋がらないと思ったら、ファディがよこした電話番号は公衆電話のものだったようで、曜日と時間を決めて彼からディーナにその電話にかけているという。ディーナは電話もない場所に泊まっているのか。ファディ、もう少し早く相談してくれよお。バグダッドでは周囲から尊敬され、頼りにされていた英語の教師だった彼女。買物が好きで化粧品やアクセサリーやファッションにもうるさかった彼女が、今は亡命希望者"Asylum seeker"として外国で貧しく不安な生活を送っている。彼女は電話を手に入れるお金もままならないし、ましてや西洋は生まれて初めての西洋だ。何とか力になってあげたいが、連絡がつかないことには動きようがないではないか。なんとか助けてあげなければならないと思う。"Half OK, Half not OK."とさっきの電話でファディは言ったけれど、何がOKで何がOKじゃないのか、そこを彼女から聞けば対応のしようもあるが・・・。クリスマスだというのに、家族や友人と離れて本当にかわいそうだ。
神様、どうか彼女と彼女を支えてくれる人たちの傍らに、あなたがいて道を示してくださいますように。
# by kenji_goto | 2004-12-11 18:33